2016年7月18日(月)
2016年7月18日 無駄な抵抗?
私は気分転換やリラックスをすることが上手いかもしれない。 楽器を弾いたり、大好きな読書をしたり、勉強をしたり、映画をみたり、生物を愛し研究したりと、実に多くの事に夢中に取り組んでいます。
周りを見れば、皆それぞれに気晴らしの方法を持っています。 旅行、ショッピング、おいしいものを食べる、お酒を飲む、テーマパークに行く、コンサートに行く。 将棋や囲碁を楽しむ人もいる。
心の弱い人はアルコールにおぼれたり、ギャンブルをして気晴らしをする。 覚せい剤などのドラッグに手を出すダメな人も少数ですがいますね。
そもそも、私たちは大切な時間やお金を使って、なぜこんな気晴らしをするのでしょうか。
それは、人間関係、将来の経済状態や健康に対する不安や満たされない欲望などを抱えているからでしょうね。 常に生きづらさや息苦しさを抱えているローテンションな状態。 これが私達のデフォルト(初期設定、標準状態)だからです。
でも、気晴らしやストレス解消法は一時的なもので、そんなことは「無駄な抵抗」というのが仏教の立場です。
仏教の基本に、「人生は苦である」というテーゼがあります。 で、これを克服する方法を悟ったのが釈迦です。 大雑把に軽い感じで言えば、ですけど。
釈迦は、人間の苦しみは無明(無智)から来ると気づきました。 つまり、私たちは、物事を正しく見ないで、あれこれムダに頭の中で考えているのがいけないようです。
人間には色々な苦しみがあります。 それを仏教では四苦八苦と言いますが、いずれ死ななくてはならない、というのが最大の苦ですよね。
四苦八苦を克服する到達点がニルヴァーナ(涅槃)です。 これは、煩悩などの火を吹き消した状態です。 考えることもやめるのです。
すると、本当に清々しく幸福な心になるらしい。 自然と慈悲が湧いてくるらしい。 慈悲は愛と違って特定の対象に向かうのではなく、生きとし生けるものを慈しみ、その幸福を願う心です。 これが本来の人間の状態らしい。
「~らしい」という言葉を多用していますが、それも自分で実感していないからです。 毎日、気晴らしなど不要な慈悲に満ちた心を手に入れる方法が瞑想だそうです。
私は、アルボムッレ・スマナサーラ氏やティク・ナット・ハン氏の書いた瞑想の本を読みました。 実践したくなりましたが、無精なので、まだしていません。 まあ、そのうちに実践して、報告をするかもしれません。 でも、読んだだけでも、幸福度は増したような気がします。
ちなみに、「食べること」もテンションを上げる有効な手段です。 「趣味は食べ歩き」という女子は、ローテンションなデフォルトから逃れるために無意識に食べることに執着しているのでしょうね。 食べ歩いてデブになったら瞑想をするといいかも知れません。
今回も、「つれづれなるままに、心に浮かぶよしなしごとを・・・」って感じで、長くなったので、ここまでにします。 じゃ、また。