2015年6月26日

2015年6月26日(金)

「日日是好日」

 「なんて読むか分かりますか?」 高校1年の夏休みに、父の友人の禅寺に2週間ほどお世話になりました。 そこで、老師(父の友人)の弟子のお坊さんに尋ねられたんです。

 「にちにちこれこうにち」と読むと教えて頂きました。 先日、マンガを読んでいたら、「日日是好日」という禅語に出会い、思わず微笑みました。

「一日 一日 初めての佳き日じゃ 身軽に生きよ 黃理子」
「“こうあってほしい” て願えば願うほど あたし キュークツになっていたんだね 自分や人に対して ぜーんぶの期待 手放せたら ああ どんなに身軽になるだろう」

というセリフに昔を思い出し、人生をまた新鮮な目で見ることができるようになった気がします。

 私は、「日日是好日」の意味を説明できるような立場にはありませんが、この禅語の心持で生きている人は、ほとんど悟っていると言っても過言ではないと思います。

 人生って、天気と同じように、晴れの日ばかりではないでしょう。 風の日、雨の日、嵐の日。 失敗して気分が落ち込んだり、大切な人を失ったりと、雷に打たれたり、竜巻に出会ったような瞬間もあるでしょう。

 それでも、生きていることに感謝して、毎日を新しい良き日として大切に生きる。 難しいですが、そういうスタンスで生きるべきなんでしょうね。

 マンガのセリフにあるように、すべてを手放せたら身軽になります。 期待や欲望や夢までも捨ててしまう。 ムリですね。 でも、悩みの原因は執着ですから、欲望が少ないほど身軽で禅の理想に近づけるでしょう。

 過去にとらわれす、いたずらに未来に思いを馳せず、今、この日、この瞬間に集中して生きることが大切です。 これが「日々是好日」のカギではないでしょうか。

 私は大学生のころから、禅について読み漁っています。 禅は不立文字と言って、言葉では説明ができないのですが、やたらと禅の本が出版されているというパラドックスが面白いですね。

 小名浜に来てからは、原始仏教を勉強しています。 釈迦の伝えた本物の仏教は、宗教というよりは、むしろ哲学や心理学を合体したような生き方論です。
 今のデジタル化社会では生まれてこない発想が多くて、この年になっても勉強させられます。

 また、長くなりました。 では、また。